自分のものにする

武道で、例えば体重移動をする。
ワークショップなどの質問で「何時頃から体重移動が出来るようになったのか」と問われることがある。
その時に即答出来ない。

それは、私として明確に「よし、これだ」となったのではないからだ。
色々な事をやり、色々考え、挙句に「やっていた」からだ。
ここで書いているように、自分で考えて積み重ねているので、どの区切りで出来たのかは分からないのだ。

また、体重移動を稽古する時、単純な動きを色々編み出す。
他の武道・武術関係の人から見れば、それらは特定の技に見える。
しかし、私にとっては体重移動をマスターする為の一つの材料に過ぎない。
だから、名称は無い。
そして、その単純ではあるが異なった動きに共通項があり、それ体重移動なのだ。

という考え方を教えているのだ。

ある時は弟子たちに、どこでも良いから掴んで私を動けないようにさせる。
もちろん、34人で組み付いてくるのだ。
そこで体重移動だけで脱出する、というような事で私は稽古をする。

それを私が見せると、何時の頃か弟子たちも出来るようになっている。
もちろん、弟子たちは「どうして出来たのか」は分からない。
「出来た!」だ。

そこから、それを自分のものにしていくには、それなりに相当時間がかかる。

自分は何をどうしたのか?それは、こういった作用を相手に起こしたから出来たのだ、と、自分なりに考える必要があるのだ。
この作業を怠ると、永久に「それが出来た」「それだけが出来た」状態で終わるのだ。
もちろん、自分なりだからそれは日進月歩する。
でなければおかしいのだ。
おかしいというのは、日進月歩しないとしたらそれは「その時だけ考えた」だけだからだ。
そんなことから、武道は死ぬまで稽古だというのだ。

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