物事をどう見るのかで
物事には順序がある。
その順序を無視しても良い場合もあるが、絶対に無視したらいけない場合もある。
ここで難しいのはその「物事」の捉え方だ。
例えば、自動車を運転する、という物事だとする。
自動車を運転するのは簡単だ。
殆どがオートマや電気になり、昔の百貨店の屋上にあった子供の自動車と同じ電気自動車程度だ。
だから、その視点で自動車を運転する、と捉える人もいる。
しかし、実際は買い物の為、あるいは、子供の送迎、あるいは休日のドライブ他で運転する。
となると、市街地や高速道路を走る。
であれば、市街地を走行する為の注意事項、高速道路の注意事項を知っていて、それを行使出来なければ「運転する」とならない。
だから、その視点を持っている人の自動車を運転する、ということと、先程の単純に自動車そのものを動かすことを、自動車を運転する、という視点は全く違う。
それぞれの人の持つ「物事」が違うということだ。
それを大きく言えば、俯瞰されている世界の大小、あるいは、関連性の幅を広く捉えているか狭いかの違いだ。
それは想像力や知識とも関係する。
それが順序を無視しても良いか悪いかを決定するのだ。
武道の稽古をしていると、そういった事が良く分かる。
だから、稽古は順序正しくと、順序は必要では無いを混在させる。
それは、鍛えるべき要素が人によってまちまちだからだ。
まず順序を学ばなければならない人、それよりも基本であり、言葉としての形を学ばなければならない人。
色々な人が稽古をするので、単一の方法は有り得ないのだ。
もちろん、それは「武道」だからだ。
だから、運動なら別だということだ。