人が気遣ってくれる有難さ
メッツの稽古ではなくポーの稽古が終わった。
ほんと、頭は暴走する。
そこが発達障害なのだろうか。
私の稽古に、ここポーでも30名以上の人が集まってくれる。
私自身が「どうして?」と思ってしまう。
それは、私のやっていることは、決してビジネスではないからだ。
ビジネスのセミナーなら何十人、何百人が集まるだろう。
また、資格を持てたり、武道でも昇段したり昇級したり、あるいは、やっている事が直接生徒確保に結び付くなら、人も集まるだろう。
しかし、そういったことを全部排除したこと、つまり、その人個人が自分の身体や感覚、あるいは、自分自身を本当の意味で深めていくことだから、決してお金とは直接結び付かないのだ。
最近は1年に2度、あるいは1度会えるというだけで、人が集まってくれる。
また、レオさん達、私をオーガナイズしてくれる人たちは、そんな私を理解していて、気遣ってくれる。
宿泊先や食事など、こちらが気を遣うくらい、居心地の良いところを選んでくれる。
人が気遣ってくれる、こんな嬉しい事があるだろうか。
そんな事をふと思う。
人は経済の方向にしか向いていないのではない、ということを改めて実感させてくれる。
これからメッツに飛ぶが、そこのオーガナイズも最高のものを用意してくれている。
言葉が通じないということが、どれだけ人間同士の関係を深いものにするのかだ。
今日、カナダに住む鍼灸師と話をしている中で「先生が外国の人と話をしているのを見ていると、普通に言葉を使えている、普通に会話をしているようにしか見えない」と言っていた。
それは相互に「関わる」という意識になっているからだ。
私の言語能力を知る鍼灸師は、だから驚くのだ。
言葉を超える、あるいは、言葉を支えるこちらの、相手に向かう気持ちが、外国の人達のこころを開けていくからだ。
もちろん、音楽もそうだ。
音楽という形式を支える気持ちの有無が大事なのだ。
たかがドラムだが、そうではない。
6月1日に体感して欲しい。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
6月1日 新宿ルミネゼロ