生音で自分をリフレッシュ

リヨンの1日目はアイリッシュコーヒーで締めた。
このコーヒーを何時頃飲んだか、思いだせない程昔に飲んだ事がある。
「こんなんだったかなぁ?」だ。

ストローで熱いコーヒーを飲むのは、自分の持つストロー→グラス→ホイップクリーム→冷たい飲み物、というイメージが定着しているので、一口ごとに「これは熱い飲み物やで」と、頭に叩き込みながら飲まなければ、口の中は大やけどをしそうだった。
改めて、人の持つ思い込みや固定観念が、自分自身の感覚を牛耳っていると確認した。
おかげで、昨晩はコロッと寝てしまった。
ビールよりもウイスキーの方が身体に効く。

昨年のリヨンに比べ、受講してくれた人は少なかった。
バカンスで家族サービスだったのだろうと思う。
その分、細かい技術の稽古が出来た。

「本当の意味での生音」と昨日書いたが、そうではない生音というのは何だ?
作為的な音だ。あらかじめ用意された音、自分の引き出しにある音。そんなところだ。
もっと極端に言えば、CD音源のようなものだ。
それらは、BGMには向いているがわざわざ聴くものではない。
しかし、大方の人は、その音に慣らされているので、その音の方が心地よいのだ。

ドアの向こうで鳴っている音だから、自分自身に直接働きかけて来ない。
だから、安心して聴けるのだろう。
この現象は面白い。
それが人間関係も表しているからだ。
どこか他人と距離を置く、そんな感じがする。
だから、本当の意味で喜びや悲しみを分かち合えない。
そんな人達が溢れているのが都会だ。

ここらで自分に喝を入れよう。
「本気の生音」陳腐なコピーだが、音は身体に確実に響くよ。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
6月1日 新宿ルミネゼロ

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