パリ北駅へ

ボンでの稽古は午前中で終わりだった。
道場の下に会議スペースのような部屋があり、そこで昼食だった。
ここなら、パンだけで行けた。
やたらとお腹にこたえるレストランの食事ばかりだと、身体も不思議と重い。

昼食後、アウトバーンを飛ばしてデュッセルドルフへ。
そこからレオさんは飛行機、私は列車でパリへと別々のコースだ。
アウトバーンは何がどうなっているのか知らないが、とにかく混んでいた。
来た時と大違いだった。

駅には駆け込みセーフという感じだった。
ブレストに帰る救命救急士が一緒だったので、どうにか乗り込めた。

ボンに来ていた若者達は、日本語が達者なので驚いた。
「日本語はまだまだ話せません」というが、日本人と話すよりも深い話を理解している。
その一人に、日本語はどう勉強したのかと問うと、1年間日本に留学したそうだ。
「いや、1年でそのレベルは無理だ」と言うと、その前の1年はドイツで勉強し、後は日本人の友人と話すこと、日本の映画を見たりしたそうだ。
それにしても、大したものだ。

今日は、その彼がレオさんに変わってドイツ語での通訳を担当してくれた。
ドイツ語での通訳だから、質問も沢山出た。
「丹田は大事ですか」「呼吸はどうするのですか」大体普通でる質問が出ていた。
さすがに「知ってどうするの?」とは言わなかったが、それに近い答え方をした。

驚いたのは、ここの合気道の先生は、実はドイツでロボットを考案する第一人者だった。
だから、日本で起こっているプロジェクトを言うと、知っていた。
日本のトップの会社に10年程指導に来ていたともいう。
自動で動く自動車も、ドイツの自動車会社に提案したが、軒並み「何をばかなことを」だったそうだ。
もちろん、そんなことは影も形もない相当昔の話だ。

だから、何なんだと思われるだろうが、私もある意味で関わっているからだ。

「来年も来てくれますか、良いセミナーだとみんな本当に喜んでいました」だそうだ。

私はそれよりも、目先にある6月1日のコンサートが大事だ。
スティックを片時も離さず、指の感触を確かなものにしていっている。

日野晃’古希’ドラムソロコンサート
6月1日 新宿ルミネゼロ

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