バカと賢いは紙一重

大体で良いから、出来た時に「解る」。
出来ない時は、何も分からない。

それが物事なのだが、残念なことに自分の頭の回転が早かったり、理解力が優れていると、出来ないのに「理解できる」という現象が起こってしまう。
何が残念なのかというと、「理解出来る→実際に出来る」という錯覚が起こることだ。
そして、その錯覚に振り回されるから、「どうして出来ないのだろう」となる。

これは、単純に「出来ない」と思っていることではない。
単純に「出来ない」と思ったのは、「どうすれば?」と自分自身の工夫が起こる。
しかし、出来ると無意識的に思い込んでいる「出来ない」では、自分自身の工夫は起こらないのだ。
それは、自分自身の持っている知識の中でしか頭が回転しないからだ。
そこを突き破っての工夫が生まれてこないのだ。

これは武道を稽古する人、身体を使って何かをする人を見ていて、何時も感じることだ。
そこで、「初めてのことをしているのだから、動作を大きく」という。

そこにどんな意味があるのかというと、大きな動作を繰り返すことで、頭に対して「これは新しい情報だ」と認識させる為だ。
頭が新しい情報だと理解したら、頭が自動的に働き、身体に対して的確な情報を伝達してくれるのだ。
そうなるまでは、大きな動きと、決して過去の頭で理解しないことだ。

新しい情報を元に、大体出来た時は、身体が変化しているから、当人も気付く。
そこの繰り返しが、身体を新しいシステムに入れ替えることになるのだ。

過去の頭と、新しいシステムの葛藤に気付けば、それは自分自身の大きな成長の核を手に入れたことにもなるのだ。

こんなことは、スティックのコントロールを訓練していても同じだ。
大きく動かす。
感じ取る。
小さくする。
力みに気付く。
また大きくゆったりとする。
こんなことの繰り返しが、感覚を育ててくれるのだ。

日野晃’古希’ドラムソロコンサート
6月1日 新宿ルミネゼロ

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