目に見えない関係性を見せるには

息子とはスティックのコントロールと身体が動く意味、ということで武道の棒を稽古した。
棒の握りや力の出し方とスティックのコントロールは同じだからだ。
といっても、スティックの先から力を出す、という事と、棒の先から力を出すという共通項の事だ。

途端に、息子の音が良くなった。
芯のあるクリアな音だ。
しかし、それをものにするには時間がかかる。
ということを息子も知っている。
だから、練習の鬼になれるのだ。

でも、そういった「身に付く」という構造を知らない人は、「出来ました、次は何をしましょう」というふざけた質問をする。
「いや、何が出来たの」と言うと「これが」と答える。
じゃあ、もう一度試して、と言ってやると出来ない。

当たり前だ。
自分の身体の何をどうしたのかを分かっていないからだ。
「出来た」はそれでよい。
その時、自分はどうしたのかを自覚していなければ、当然再現性など有る筈もない。

息子とのリハは、バトルというか、ジャズでいう4バースのような状態を、一切の約束なしでやる、という稽古だ。
相互が相互の雰囲気から察知するという、究極の関係性の実現だ。
武道でいう「意識の起こりを抑える」であり「対々の先」だ。

うまく出来たのだが、まだ甘い。
空間が甘いのだ。
つまり、緊張感が「そこに見えない」のだ。
ここで空気を凍り付かせたい。

果たして、明日中に出来るのかな?

日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ

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