目指すものがあるというのは

「目指すものがある」「目指す何かを持っている」これほど、貴重な宝物はない。
それがあるから切磋琢磨出来るのだ。

良く言う言葉に「それが無くなったら、俺は死ぬわ」だ。
つまり、「生きている」ということの証とでも言うべきものだ。
あるいは、「生きる必然」のようなものだ。

人は、食事をし寝るだけという日常では、生きる事は出来ないのではないかと思うのだ。
母が末期ガンで入院した時、もちろんベッドで横たわったままだった。
「やり残した事がないのなら、このまま楽に死ねるで」と語りかけた。
昏睡状態の母がその言葉に目を開けた。

やり残している事があったのだ。
そこから、6ヶ月で退院し日常生活を送り、やり残したことをやった。
私は、それが人生だと思う。

昼間の竹ちゃんの「目指すもの」、私が目指すもの、それは違うものだ。
しかし、そういった「目指すもの」を持つもの同士は、会話になるのだ。
会話の全てが、その目指すものに向かっているから、言葉に情熱もあるし意気込みも感じる、つまり、生きているということを感じ取れるからだ。

そこに抵触しない言葉、会話など眠たいだけだ。
目指しながら、追い付き追い越し、そして目指す。
目指すものは自分自身の進化とともに成長していくものだ。
その意味で、だから死ねないのだ。

大阪のコンサートまで1ヶ月を切りました。
まだ、空席がありますので、お早めにお申し込みください。

日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ

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