自己肯定か自己否定か
FBを見ていると、シェアされた記事が多い。
政治的なことから個人的なペットの事まで、相当幅広くある。
私は、極力シェアはしない。
情報の根源を探るのが面倒だからだ。
何時も言われているように、ネット情報の大半は嘘が多い。
情報を嘘か真かを探るのが面倒だから、「ふ~ん」で済ます。
私のように個人が、自分の主観だけで書いているものも、「ふ~ん」だ。
私はブログを20年以上続けている。
これをさかのぼれば、20代前半になる。
ジャズについて、音楽について、武道について、社会について、そんなことを毎日書いていた時期がある。
私にとっての仮説のオンパレードだ。
それは、書いた後で読み返した時「こいつはアホか」と自分自身を知る為に役に立つ。
自分自身が少しでも成長しているか、あるいは停滞しているかを知る手立てでもある、と気付いた事があったからだ。
何も分からないくせに、偉そうに書いている文章を発見し、自分で笑ってしまった事もある。
「書く」ということに向かった時、「偉そうに」となる。
仕方が無い幼稚だからだ。
もちろん、「偉そうに」と気付かない人も沢山いる。
お前に、何でそんな事を言えるのだ、と突っ込み入れないお前は、一体歳はいくつ?と聞きたくなる。
長年書いているから、一つの問題を見つけた時、どこから考えなければいけないのかが良く分かる。
全て稚拙な自分自身の文章が、そのお手本だからだ。
「これでは駄目」言い続けている。
自己肯定感という言葉があるが、私は逆の自己否定そのもので生き続けている。
もちろん、どちらが良いのか悪いのかではない。
「私はそうしているだけ」なのだ。
そこにレッテルを貼ってはいけない。
「自分が生きているのだから」だ。
それは、どこへ行き着くかというと、「自分が死ぬのだから」だ。
人生の本でよく出てくる言葉に、決して、誰かが自分の死の身代わりにはなってくれない、病気の代わりは出来ない。
そんなことは本で教えて貰うことではない。
自分が気付くことだ。
もちろん、その入り口は本でも良いし、誰かの言葉でも良い。
ただ、それを理解するのではなく、それを自分が実体験の中から気づかなければ、その本を良い本だ、と言ったことは、「あそこのお蕎麦は美味しかった」と何も変わらないのだ。
そんな事を自分の力で考えられるようになっているのも、どこにも属さず「自分が」生きているからだ。
その「私」が70歳を超え、ドラムソロを行う。
どんな演奏になるのかは想像できないだろうが、普通ではない、と想像してもらえるだろうか。
4月12日、是非、大阪大丸心斎橋劇場にお越し下さい。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ