答えなどどこにもないやろ

固執する、それは単純には「居着く」事だ。
しかし、物事はそれほど単純では無い。

例えば、動画を見ていると、チビッコドラマー達が、恐ろしいテクニックを持って、しかも楽しそうに演奏している。素晴らしい!!先日も8歳だか9歳だか忘れたが、小さな女の子が、大人顔負けのドラミングをしているのを見た。
そして、「これはこう叩いているのです」とレクチャーまでしている。
しかもそれが的を得ているのだ。
素晴らしい!素直にそう思える。

方やドラムスクールというか、教えるのが専門の人達がいる。
同じ事をレクチャーした時、やたらと難しい話になる。
身体操作がどうしたこうしたと。
小さな女の子は、「こうしています」と一言で、後はやって見せているだけだ。

「演奏が出来ている状態」に専門の人達と、小さな女の子の違いは全く無い。
その事に関しては、その小さな子でもできる事だという事だ。

こういった事を比較して見るのが、一番の学びになる。
自分はこの違いをどう言葉化出来るかを考えるチャンスだ。
あるいは、違いを分かっても何がどう違うのかを分からないかもしれない。
そんな事に気付けるのだ。
ここが物事はそれほど単純では無いところだ。

「居着く」という事に固執して、「居着く」を考え抜いた。
答えが見つかるまで数年かかった。
この数年かかったというのは、身体として出来る、日常で応用できるという事だ。
しかし、それを答えだとは思っていなかった。

これは私の癖だ。
数学や人間が作り出したものに関しては「答えはある」が、それ以外の事は全て仮説である、と私は考えている。
それらは科学の進歩を見ていればよくわかる。
考古学からも、歴史からも分かる。
現時点にある事は、全ては仮説なのだ。
もちろん、未来でも同じく仮説だ。
人類が進歩する限り、人が追求していく限り、全ては仮説なのだ。
そこから考えても、答えはないのだ。

だから、その「居着く」も未だに持ち続けている。
もっと深い何かがあるのではないか?という具合だ。

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