本当に、という何か
しかし、「思い立ったら」だから最短で、では無い。
思い立つ何かが必要だ。
人は、その「何か」を引き寄せるのか、湧き上がらせるのか、あるいは、作り出してしまうのか、そのどれかは分からないが、とにかくそうならなければ、本当には動かない。
本当に、というのは、義務でもなければ、意識的に強制されたものでは無いという事だ。
「本当に」だから、それを実現させる為のどんなことでも消化させる力があるのだ。
そして、その「どんなことでも」に気付いていけるのだ。
これが義務や強制的なものであれば、まずそんな事が起こらない。
だから、言われなければ分からないから、一つの行動に穴があちこちに出来るのだ。
言われなければ分からないとしたら、言われたことしか分からないということだ。
だから、そこに連関性も全体性も見いだす事が出来ないのだ。
当時の私にとっての「何か」は、ジョン・コルトレーンの音だった。
ファラオ・サンダースと2本のテナーサックスが作り出している音、それを支える情熱が私にとっての「何か」だった。
それが私に火をつけてくれたのだ。
身体が熱くなって、ジャズ喫茶を飛び出したのを覚えている。
店を飛び出し「とにかく練習をやろう!」と全身が止まらなくなったのだ。
日野晃’古希’ドラムソロコンサート
4月12日 大阪大丸心斎橋劇場
6月1日 新宿ルミネゼロ