自分の方向は、若い頃に決まっている?
ちょくちょく書く事だが、同じスティックで、同じ練習台を使って、同じように音を出した時、明らかに次元の違う音がした。
これは、私が体験したことだ。
ドラムをやり出して3年目辺りで、有名なトランペッターが新しいバンドを組む時、私は別のバンドから引き抜かれた。
その新しいバンドが所属するキャバレーの部長が、次元の違う音を出した本人槌野一郎さんだ(もちろん故人)。
その時に「音」に魅せられたのだ。
これは私の、「形ではなく中身の探求」への入り口になった。
それまでは、ドラムを叩くスタイル(形や姿勢)に目がいき、そこを工夫する事で音を出すことをしていたのだ。
その数年前、小さなスナックを経営していたが、その業界でも体験していた事がある。
有名なバーテンダーのいるBarに飲みに行き、シンプルな水割りを飲んだ。
それは今まで飲んだ事が無い味がした。
もちろん、美味しかったのだ。
そこで、バーテンダーにウイスキーの銘柄を聞くと、何のことはないどこにでもあるホワイト・ラベルだった。
「水は?」と聞くと、これもどの店でも使っているミネラルウオーターのバッタもんだ。
氷も、南の店の氷を一手に引き受けている店だった。
何もかも一緒なのに、どうして味が違うのか。
これがもっと複雑なカクテルなら、まだ分量の微妙な違いということで納得できた。
しかし、ウイスキーを水で割っただけのものだ。
その時にバーテンダーの「腕」という得体のしれないものに興味が湧いた事があった。
その興味の方向が、このスティックの音で、完全に決まったのかもしれない。
形からその中身へ、それは、その逆にその中身だから、その形になる、という処へと発展した。
22歳の頃だ。