出来ないのではなく、やらないから

映画を見ていると時たま、的を得た良い台詞と出くわす時がある。

少し前、パリからフランクフルトへの高速鉄道の中で、機関銃など大量の武器を持った男が取り押さえられた事件があった。
その取り押さえた3人のアメリカ人の映画をみた。

学生時代の話で、少し太めの彼が「空軍に入り、レスキュー隊に入るんだ」と友人にいう。
友人は「無理だ」と言う。
それはその当時の彼の体型もありの台詞だ。
体を叩きながら「これでは無理だ」と笑う。
すると「僕には出来ないと言うのか?」と切り返す。
「出来ないのじゃなく、お前はやらないから無理だ」との切り返しだった。
これは見事な台詞だ。

「出来ないのではなく、やらないから」これは、私にも当てはまる。
「やらない」から出来ない。
もちろん、この台詞は誰にでも言う。
やった人は出来るかもしれない。
しかし、やらなかった人は絶対に出来ない。
当たり前の事だ。

そこに、何一つ即席のものは入れない。
やって出来なければ、やり足らないか、やり方が間違っているかだ。
それもやらなければ分からない。
こんな単純な事、まさしく真理だ。

しかし、多くの人は、ここを頭で処理しようとする。
頭デッカチの人と話をしていると、イライラするのは、全部頭だけで処理しているからだ。
最後は「やったら分かる・やれるようになったら分かる」と言うしかない。

やっている人と、やっていない人とは共通言語が無い。
共通体感言語というべきだろうか。
大事なのは、この共通体感言語だ。
これが「話が通じる」と感じ取れる人、そうでは無い人を分けている要素では無いかと思う。

「出来ないのではなく、やらないからだ」どこにでもあるが名言だ。

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