太鼓に生命を宿す

息子とのリハーサルは、実際的には2時間ほどで終わった。
多分,10年分の宿題、課題を提供した。

一つ一つ課題をし、それを動画で撮る。
そのことを当人が認識する。
それは同時に「見る力・聴く力」を付けるものだ。

「太鼓衆一気」を結成した当時3人だった。
持ち曲も3曲しかない状態でのストリートパフォーマンスを決行。
それでも、数時間で数万円を集める程だった。
技術も稚拙、持ち曲も3曲、それでどうして?と論理思考の人は思うだろう。
それが出来るのが人間だ。
隠し球は何だったのか?情熱だ。
情熱が技術より優っていたからだ。
人は幼稚園児の可愛いパフォーマンスを見て感動する。
何故だ。
それが形式を上回る一途な情熱なのだ。

それが年数を重ねると共に薄れてくる。
その変わり技術が優れてくる。
技術に追いつく情熱が無くなっているに等しい状態になるのだ。
もちろん、一般的な舞台パフォーマンスは、ファンが喜ぶ程にはあった。
どの太鼓チームよりも技術的に優っていただろうと思う。
しかし、しかしだ。

新しい目と耳を獲得した今、新しい太鼓奏者として一歩踏み出す事になる。
音が一つずつクリアになり、シャープにもなった。
雰囲気も確保した。それを4月までにどれくらい成熟させられるかだ。
乞うご期待!というところだ。


Follow me!