棒も手と同じ感覚を持つ
師走と体感させる寒さだ。
同時に気忙しくなるから不思議だ。
ベランダに出てタバコを吹かすのが寒い。
昨日は、何時も紹介している高校空手部の顧問が、選手達の引率で武道館に来ていた。
試合後の予定が変更になり、時間が空いたからと神田道場に初めて参加した。
稽古後「これが基礎稽古って、どこが基礎ですか?」と大笑い。
懇親会で、私との出会いや初めての印象はこうだった、というようなエピソードを、東京の道場生に話、これまた爆笑を誘っていた。
昨日の稽古は、刀や棒をメインにした。
棒は柔らかいものだ。
細い竹を水道管の保温材で包んだ、いたって単純な手作り品だ。
柔らかい棒は、相当良い稽古になる。
間違って身体や頭に当たっても、別段なんてことはない。
何よりも、手や腕に力が入るとそこがシナってしまい、力を込めすぎると折れてしまう。
その事が自分に未熟さを教えてくれるのだ。
昨日も、棒の型から分解をし、その分解を改めて検証をしてみるという定番の稽古をした。
型だから、色々な姿勢になる。
その中でも、相当身体を反らした不安定な状態から、棒の先で相手を動かすという型を検証した。
「それは絶対に無理だろう」と一般的には思える状態での力の発揮だ。
それをやりながらつくづく思ったのが、「触れる」を検証する重要性だ。
棒という自分の身体ではない道具で触れるのも、手で触れるのも同じである、という感覚に、感覚を成長させなければダメだ。
これには、相当時間がかかるだろうが、修練しなければ感覚は磨かれない。
そこに直面した稽古になった。