翻訳語の巧みさ
翻訳された本を読んでいて、言葉使いの巧みさに驚く。
もちろん、“翻訳語”であり、それを読む日本人の私というフィルターは通っている。
大分前にビジネス関係の本で「七つの習慣」という本がベストセラーになっていた。
ビジネス関係の方から、読むように勧められたので読んでみて驚いたのが、この言葉使いの巧みさだった。
むろん、50年、55,6年前から翻訳本は読んではいたが、その「言葉」には気づかなかった。
ざっくり言えば、日本人であれば時間をかけて自分の力で気付いたり、発見していくことを、見事に言葉に現しているというところが驚きだったのだ。
例えば、「このダンスは駄目だ」と一言ですむところを、何がどうして、どう駄目で、だからこうすべきだ、という展開で行くのだ。
しかし、結局のところその「駄目だ」には届いていない、周辺は見事に表現されているが、核には触れられていない、その意味では非常にまどろっこしいのだ。
「共感」なる言葉があり、それにはどんな要素があり、だから、こう取り組むのが合理的だ、とある。
大事なのは、言っているあなたに共感能力はあるのか?だ。
そして、それを実行できるのか?と、私なら突っ込む。
さらに、それは習えるものなのか?と畳み掛ける。
本来、それは自然と行えるべきものであるが、共感できなければ生きていけないのか?という疑問もある。
そもそも「共感」というのは、本当にその要素で出来上がっているのか、という問題もある。
そんなツッコミのない安全な場所での物語だ。
これもビジネスの一つの手法なのだ。