DIY

桟木や野地板を仕入れて来た。
さすがに、ボロの軽トラでは重いか。
これを2階の屋根へ運ぶのは、想像しただけでめげる。

道場を建てている時は、道場側に滑車を取り付けて引き上げていた。
相当重いものまで引き上げた。
一度、荷物がバランスを崩し落下したが、下にいる皆は素早く逃げて、けが人は出なかった。
思えば、大したケガもなく建てられたものだ。
「何とかなるで」だし「何とかしたら」だ。

骨組みが出来上がった頃、どこかのフィルム会社のDIYの写真コンクールがあった。
どうせだからと、数枚送ったら何と入賞した。
写真としては、良い出来ではないが、作っているものが
DIYの範疇を超えていたからだろう。
フィルム会社から、写真を引き伸ばして額に入れて返されてきた。

こんなことも、人生や表現や稽古を考えるヒントになる。
結果として、こちらの思惑通りになるという現象だ。
この写真の入賞も結果オーライということだ。

そういうところも、人それぞれに違うということの現れだとも考えられる。
ここで言える事は、写真を送ってみた、という行動がなければ、この教訓も生まれていないということだ。
だから、良いも悪いもない、失敗も成功もないのだ。
それらは、単純に時間の切り取り方だけの問題だ。
そこから言えば、どの単位の時間で生きているのかが、重要な問題だと言える。
子育てをしているのか、人間を育てているのか。
それだけで、価値観は大きく変わるからだ。

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