ファッションではない

「目で聴く」というのは、「武禅」から始まり、ワークショップや「明鏡塾」へと受け継がれている、人間関係という事で、一番重要な要素だからだ。
もちろん、その前提には「自分自身の目的が明確にある」を持っている必要があるが。
そこが希薄だと、「その為には?」となる。ここも難しいところなのだ。

では「その為には?」という方向に進めば、絶対にダメなのかというとそうでもないからだ。
つまり、「その為には」が主要目的にならない程、確固たる目的を持っていれば、「その為に」でも良いのだ。
これは、過去多くの人見てきた中で、そういったブレない人もいたからだ。
そのブレない人は自分自身の持つ目的がリアルだ。
漠然としていないのだ。
それは、主にプロアスリート達だった。

昨日紹介した、一瞬で顔付が良くなった柔整師は、組んでいた医師から「目が泳ぐ」と指摘された。
そこで「目が泳がないくらい聴いてやる」と決め、挑戦し続けたのだ。
この「目が泳ぐ」と指摘され、「では、こうしよう」という図式なのだが、大多数は「では、どうすれば?」となるのだ。
つまり、「目が泳ぐ」→「目が泳がない」という時、「泳がない」が目的にすり替わってしまう、それをブレるというのだ。
柔整師は、そのまま「泳がないくらい聴いてやろう」となった事が稀なのだ。

そうなると、その抜けだした人に影響される人が出てくる。
もちろん、それが目的だから影響されて当たり前だ。
そして、また一人顔つきが良くなった。

顔つきが良くなったというのは、ファッションを変えたというものでも、化粧を変えたというレベルのものではない。
それらは、本体としての自分自身の気分は変わっても、肝心のものは変わってはいない。
肝心のものというのは、残念ながら言語化出来ない。
敢えて言葉にするならば、「本気」だろうか。
本気への扉を開いたということだ。
巷にある「受け入れる」という頭脳の作業ではない。
その人そのものとしての、生命体が息吹を吹き返しかけた、というものだ。

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