またまた、言葉と実際との隙間を

言葉と実際の間には、実際化する為の壁がある。

例えば「関係を良くして」という言葉の中には、「関係」というのは、実際にはどういうことなのか(職場での)?があり、その実際を拾い出し「良くする」へ繋ぐ。
しかし、その「良くする」というのも、良くなっているというのは、どういう実際なのか(職場での)?がある。

こんな事は当たり前のことなのだが、皆を観察していると、ここ20年程で当たり前では無くなって来ている感じがする。
もちろん、当たり前だよ、という人もいるのでややこしくなる。
当たり前だよ、という人が上司で、当たり前ではない人、つまり、「関係を良くして」という言葉面だけを、鵜呑みにすれば良いと思っている人が部下なら、まず仕事にならない。
その鵜呑みにする人の割合が増えているのだ。

どうしてだろう?と頭をひねるしかない。
国語の再教育しかないのか、あるいは、当人が気づくのを待つのか?
人生という長いスパンで見るのなら、気づくまで待てば良い。
しかし、仕事ということになると、たちまち仕事が滞る。
一番厄介なのは、鵜呑みにしている人は「自分は仕事が出来ている」と思い込んでいるところだ。
ここが組織の欠点でもある。

例えば、零細企業と呼ばれているような町工場であれば、その厄介な人をカバー出来るだけの人の数はいない。
もちろん、仕事にならない、ということをその場で突きつけられる。
ということで、「仕事は出来ない」ということを自然と自覚出来るのだ。
社員数というか従業員数が多ければ、誰かがどうにかフォローするから、その仕事の出来ない人は気づかないまま時間が立つ。
そんなことが組織の欠点でもある。

仕事が出来ないという自覚が、「ではどうすれば?」となるか、「もう辞めだ」の分かれ道になる。
何れにしても、自分に対して否定される体験の有無は、自分にとっての宝物にするのか、ダメージにするのか、ここも自分次第だ。

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