蛙の子は蛙

左手でスティック、右手はコーヒーカップ、くわえタバコ。
これって、私がバンドボーイをしていた50数年前と同じ。
違うのはマンションのベランダか、朝のジャズ喫茶かの違いだ。
と気付いた時、きっと私は50数年前の感覚になっているのだろう。
違うのは、50数年前の左手よりも、遥かにコントロールの効いた手になっていること。
そして、左手に求めている事が違う事だろう。

生物学者福岡伸一氏の「変わらないために、変わり続ける」という本のタイトルそのままだ。
私はずっと同じことをしている感じがする。
外見はずっと変わり続けているのに、中身は同じだ。
社会的にやっていることは、どんどん変化して行く。
それは、流れに身を任せているから仕方のないことだ。
しかし、考えていること、求めている事はずっと同じだ。
それが一貫性を保っているのだろう。

先ほど、愚息がニューヨークから電話をかけてきた。
「こんなんやったんか、スカスカやった」と、ある有名なジャズミュージシャンを、ブルーノートで聞いた感想だ。
愚息の成長が、聞いている対象を変えているのだ。
もちろん、そのことと自分自身のプレイが、そのミュージシャン以上かどうかは別だ。
しかし、その感想が自分の音を間違いなく成長させるのだ。
追いかけるものを持つことが、自分自身を牽引する。
この場合は、自分自身の感想を追いかけるということになる。
この辺りが蛙の子は蛙なのだろう。

 

愚息とのコンサートに向けたリハーサルが楽しみでもある。

どんな奥行きや立体感が生まれるか、あるいは、出せるか。

別々の世界がそこに立ち現れるか、ただの合奏になるか。

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