ジーカン一発や

バンドボーイの頃、実際の演奏としてどう叩いたら良いのか分からなかった。
先輩の横に座って聞いているのだが、どこにも規則性が見当たらないから、雲をつかむようなものだった。
先輩に聴くと「アキラくん、ジーカン一発や」と返って来るだけだ。
それは、どんな状況でも同じ「ジーカン一発」だった。
こいつら何を言うてるんやろ、と、その言葉さえ分からなかった。

しかし、1年も経つと、こういうことかな、になっていった。
それは、見よう見真似なのだが、ツボにハマった時に、先輩の共演者から「おお、ええ感じや」と言われるようになっていったからだ。
今なら、考えられない原始的な状況だ。

だが、本当に原始的で古いやり方なのか?と、今になると思う。
というのは、そういった状況のおかげで、他人の音を聴き、レコードをあさり、徹底的にジャズ浸りの日々を過ごした。
つまり、音楽そのものと密に関わり、音楽を考えるようになっていったからだ。

ただ、ドラムの技術から言えば、現在と比較すると相当進歩は恐ろしく遅い。
しかし、これも本当に進歩が遅いのかと考えると、自分自身の音楽性等と照らし合わせて等身大だと分かる。
当時の、私自身から逸脱していない程度の技術だ。
だから、その意味で必死で練習をした。
つまり、ドラムを操れる以上の音楽表現は出来ないと分かっていたからだ。
自分が培っている音楽に、技術が追いつかない、そんな状態だったのだ。

だから、そこで気づいたのは、技術とそれを必要とする内的な質のアンバランスが、それぞれを成長させる、という当たり前のことだ。
と考えられるようになった、当時の状況は原始的だろうか。

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