全ては繰り返される
今更のことだが、価値観が根底から覆される、ということの繰り返しが歴史の中にある。
あるいは、大きくはそれが歴史だとも言えるのではないか。
ふとギャング映画を見ていて思った。
あるいは、大きくはそれが歴史だとも言えるのではないか。
ふとギャング映画を見ていて思った。
皆から恐れられている一匹狼の麻薬強奪犯が、やはり集団に属さないグループに待ち伏せされ足を骨折する。
足を骨折したまま逃げ切り、復讐しに街に出る。
その姿をみたギャングたちは、一斉に逃げる。
しかし、10歳くらいの子供が「こいつケガをしているやん」と一言。
その大分前のコマで、この子供の負けん気の強さがクローズアップされていたのが、映画では布石になっていた。
後日、この子供がケガをした一匹狼が買い物をしている時に近寄り、脳天を打ち抜く。
この一匹狼の怖さを知っているギャングたちには、ケガをしていても「怖い」があるが、それを知らない子供は、ケガをしたおっさんなど怖くもない。
逃げ切れるからだ。
だから、白昼堂々と彼の頭を撃ったのだ。
それを切っ掛けに、ギャングたちの下克上が始まる。
歴史であれ、色々のジャンル、あるいは職業も、まるっきりこれに尽きる。
常に新興勢力、あるいは、新しい考え方があり、虎視眈々と出番を狙っている。
あるいは、それとも関係なく独自で展開しているのが世界であり、歴史なのだろう。
もちろん、私もその中の一点に過ぎない。
考えるとジャズの世界、武道の世界も同じだ。
その流れの中で泳いでおり、どこかの岸辺に辿り着くのか、あるいは、泳ぎ続けるのか。そんなことを、ふと思った。