似て非なるもの
例えば、武道の稽古で一番重要な「同調」がある。
その中に「先の先(せんのせん)」や「後の先(ごのせん)」があり、同調という幅の中にある誤差に反応してしまう、という現象を稽古する。
その時、言葉として「一寸遅い」と使う。
しかし、それは「一寸遅い」のではなく、同調ではなくタイミングの話になっているのだ。
つまり、全く違うことなのだが、現象が似ているからその言葉になる、ということだ。
一寸遅い、と言われた人は、何とか丁度のタイミングにならないかと工夫をする。
しかし、丁度のタイミングと似たような現象が出来たとしても、それは根本的に「同調」ではない。
全く違うものなのだ。
もちろん、この時の「何を求めているのか」が重要で、スポーツで使うということが目的であれば、この丁度のタイミングで十分だ。
この丁度のタイミングも相当難しいからだ。
それは、野球で言えばホームランを打つのと同じだからだ。
野球で同調能力など必要ではない。
だから、この丁度のタイミングを掴む技術があれば良いのだ。
多分、野球でも、ベースよりも前でボールに当てたり、引き付けて当てたりとするだろう。
それが、同調という幅だと考えればわかり易い。
「同調」を目指すのは武道だからであり、それは武道の全ては、人間関係の中で成立しているものだからである。
その意味では、ダンスでも役者でも同じだ。
そこにある違いは、「どんな設定を基準としているのか」だ。
つまり、武道の場合は、相手と対立しないで、とか、攻撃の意志を持たない、とかがある。
そういった設定の違いが、そこの「同調」であったり、「身体操作」の精密度と比例していくのだ。
そこまでくると、考え方や感覚そのものと相互関係で何もかもが進化しているのである。
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