昨日、帰国しました

昨日、夕方帰国した。
隣の席に若者が座っていた。
表情がなく、一言も口を開かない。
腕が当たっても反応がない。
まるで死体が隣に置いてあるようだった。
10回と飛行機に乗っているが初めての体験だ。
「もしかしたら病気?」とも思いそっとしておいた。

今回のフランスやブリュッセルのワーク・ショップは、何か分からないが「違うな」と感じた。
全ては、何時もと一緒なのだが、私の疲れ方が違うのか、あるいは雰囲気が違うのか。
それらは、何も分からないが、とにかく違った。
もちろん、私が年々歳をとっているからかも知れない。

何時ものことながら、アチコチの国から自動車を、あるいは飛行機や列車を使って会場に来てくれるのは嬉しい以外の何物もない。
「少しでも役に立つのなら」と思い続けている海外でのワーク・ショップだ。

もちろん、私の考える「日本文化」を伝える為でも有る。
今回、トゥルーズでのワーク・ショップは、クロードさんという日本語が堪能な方がしてくれた。
だから、少々込み入った話もさせてもらった。

私が「武道」の原点的なものを考えだしたのは、日本に残る古い建築物だという話だ。
そして、自然災害の多さから、それらが生まれ、当然人の営みの根幹には、そこが必ず入っているだろう、という推測からだ。
そうすると、それが武芸者であろうが、誰であろうがそういった考え方の幹になるような何かがある筈だ。
という壮大な推論から、「身体」や「技」というものを組み立てていったものだという、拙著に書いてあるような話をした。

それに意味があるのか、価値があるのか知らないが、私はそう考えるというものだ。
そんな話が、フランスで響くのかどうかは知らないが、とにかく話してみた。
みんな、頷きながら聞いてくれていた。

しかし、面白いのは一応道着などを来た人達は、知らん顔をしていた事だ。
これは、日本でも共通することだ。
自分の流派の事や、その周辺のことに着いては興味があるが、文化という枠になるとまるで興味が無いようだ。
海外では、その辺りはマニアックな人とそうでない人に分かれる。
どうも「スポーツ」ということの延長という考え方が根深いようだ。
もちろん、人によって捉え方が違って当たり前だが、この場合は捉え方の違いはレベルの違いという選り分けが出来る。
このレベルというのは、自分自身の精神や思考に向いているのか、他人との比較で単純に強いとか弱いということに価値を持っているのとの違いだ。

こうして海外に「日本」を伝えに行くと、先人が海外で流布した武道や空手、柔道が、独自の発達を遂げているのがよく分かる。
それは良い悪いではなく、当たり前のことだ。
そんなことも体感できるのが、海外での稽古の面白さだ。

Follow me!