男の真似は簡単だが女性の真似は
昨日特養の常務との話。
「今は、これをしながら、あれを見て、その他のことにも気を回す、ということが出来ない人が大半だ」という話に尽きた。
そういえば、になる。
例えば、レストランに行っても、注文の品を運んでは来るが、客に対する気遣い、自分の動線の中に入る客席への気配り、フロア全体への気配りを出来ている人は稀だ。
もちろん、パートであったり、派遣だったりするのかもしれない。
「昔は良かった」とは言いたくないが、昔は殆どの職場でこういったことを要求された。
だから身に付いていったのだ。
現在は、こういった事の研修や訓練は行き届いているのだろうか。
もちろん、フロアを仕切るマネージャ的な人に、それが出来ていない人が多い。
だから、現場を動いている人は出来ないのだ。
もちろん、この話は特養での介護士やヘルパーさん、その他全ての職員に当てはまることだ。
研修が行き届いているところは、こういった事はないだろうが、「言葉だけがマニュアル」のところは、絶対と言って良い程、こういった事は出来ない。
さらに、その言葉だけのマニュアルを伝達する上司が、そのマニュアルの実際を知らなければ、本当の中身のない、中身の見えない「言葉だけのマニュアル」になってしまう。
そうすると現場は混乱するのだ。
こういった、「これをしながら」という作業や、気配りは特殊なものではない。
私たちの子供の頃の遊びはすでにそれだったからだ。
鬼ごっこをしようが、かくれんぼをしようが、遊びそのものが全て、この「何かしながら」である。
もちろん、現在の日常生活でも同じだ。
スマホを電車の中で見るのも良いだろうし、歩きながらでも仕方がない事もあるだろう。
であれば、自分は今どこにいて、他の人はどんな状況か、を把握している必要があるし、それは当たり前のことだ。
当たり前というのは、人間として、ということではない。
生物として、動物として当たり前なのだ。
餌を食べながら周囲を警戒する。
本能の一つだろうと思う。
また、一般主婦はこれをきちんとやっている。
洗濯をしながらご飯の準備をし、その他その時にやらなければならないことをする。
そこに子育てが入ると、同時に何種類のことに気を回している、気を配っているのか分からない。
主婦にとっては、当たり前のこととして、何種類ものやるべきことを同時に進行させている。
その意味で、社会性は男性よりもダントツで上だ。
しかし、こういった素晴らしい能力も、女性の男性化というか、頭の悪い男性化社会の真似をしていくから、削がれていく。
それは、どんな職種でも例外ではない。
男の真似はやりやすいが、主婦の真似は難しいのだ。