頭は複雑きわまりない
「思う」という言葉、そしてその実際を考えると複雑極まりない。
「思い付き」という言葉もある。
これも難しい。
試行錯誤の挙句「思いついた」ことは、大概うまくいく。
しかし、会話などでその場の流れで「思いついた」言葉は、別段何もない。
会話のエッセンスのようなものだからだ。
きれいに澄み切った空を見ていて「南の海に行きたいな」と「思う」というのがある。
この場合は、その時間が済めば、そのことはきれいに消えてなくなる。
しかし、南の海に行きたいな、よし、冬には行こう、とすると、それは実現させる方向に行動していく。
だから、意志が明確か、やりたいことが明確か、となるのだ。
もちろん、シャボン玉のように消えてしまう「思う」でも、そこから「よし」になることもある。
その意味では、「思う」も満更悪くもないのだ。
思わないより、思う方がましだ。
何かしらのチャンスがあるかもしれないからだ。
しかし、そこには、自分の意志で「こうした」という体験がなければ、思うを実現させるのは難しい。
なぜなら、実現させる為の努力というか、働きを分からないからだ。
これは、今まで沢山の人と会って体感していることだ。
しかし、殆どの人は「こうした」体験を持っているが、それを思い出せないだけだ。
どんな些細なことでも、思い出せば何をどれくらい頑張ったかがある筈だからだ。
思い出せないのは、自己評価が低すぎるからだ。