常にリスクはない
私が80歳ということを意識したのには理由がある。
80歳の時、当然30歳の今よりも肉体的運動能力は落ちている。
肉体も硬くなっているだろう。
心肺機能も衰えているだろう。
であれば、現在の鍛錬の仕方が間違っているとしたのだ。
間違っているのではないか、ではなく間違っていると決めたのだ。
その鍛錬では、同じ鍛錬をする若者に勝る何かを生み出すことが出来ないからだ。
それは、武道という世界だから考えられたともいえる。
幕末の剣豪白井亨が28歳の時、師寺田宗有の道場を訪ね、そこで稽古を付けて貰った時、こともなげに60歳の師に負けたという話が、白井亨の日記に残っている。
その逸話を体感したいと思ったのだ。
つまり、寺田宗有の如く能力を手に入れたいと思ったということだ。
その事が、身体に関する色々な要素、関係における色々な要素を発見していくことになったということだ。
人と同じことをしていても、同じことか似たようなことしか手に入れられない。
しかし、全く違うことをしたらリスクが大きい。
だが、同じような鍛錬をして、似たようなことであれば、手に入らない方が遥かにましだ。
だから、リスクが大きいと書いたが、リスクは無いということだ。
リスクが有ると呼ぶのは、あくまでも既成の価値観からの判断に過ぎないのだ。