武禅おさらい会
「武禅のおさらい会」を2月から順次始める。
武禅では、基本的に「目付」や「声」を通して、人との関係を深いものにする。
どうして「目」であり「声」なのかというと、この二つは、誤魔化しようがないからだ。
「武禅」では、目付を「眺めている眼」「観察している(値踏み・判定)眼」「見ようとしている眼」「力んでるだけの眼」と区別をする。
論外として「夢の中で生きている眼」というのもある。
それらは、きちんと相手と向き合っていない中の「意識の在り様を現している」状態の事だ。
まずは、こういった事を向かい合った中で知っていく。
また、「声」は、相手に何かしらを届ける為に必要なものだが、言われて「出しているだけの音」と自分の欲求があり「届ける声」とは区別する。
これも、向かい合った状態で、体感し知っていくのだ。
俗に「他人のことは良く分かる」というが、その特性を使って「他人を知る」のだ。
そして、そこから「他人のふり見て我が振り直せ」となるのだ。
もちろん、こういったワークは巷にはない。
巷にあるのは、輸入された外国人用のものが殆どだ。
「武禅」は、武道の古の達人から抽出した独特のものだ。
どうしてそうなのか、というと、武道は間違いなく相手と対峙することから始まっている。
この対峙は、「生命」だ。
武道は斬った斬られたという世界の話だから、当然「生命」だ。
その真剣さが「生きる姿勢」であり、「生きる哲学」となったものだ。
そして、何よりも相手と完全に関係されている。
だから、斬るという実際的行動をとらなくても「まいりました」と、映画のような話になるのだ。
ここの「真剣に相手と向き合う」を、体得していこうというのが「武禅」である。
そういった事から、巷のコミュニケーションセミナーや、自己啓発セミナーとは一線を画しているのだ。
いかに自分と向き合えるか、それがなければ、何も始まらない。
知識でもなければ達成感もない。
途方もなく遥かな道へ踏み出すのだ。
しかし、勘違いしないで欲しい。
途方もなく遥かな道、というのは、自分自身を知り自分自身の人生を豊かにする道であって、既成の価値観、ここでは「武禅」の価値観をものにするのではないということを。
つまり、あなたがあなたになりましょう、という話である。