二日目終了。でも正月は毎年
撮影の為に京都に入った27日から熱を出していた。
「こらあかんわ」と思いながら、風呂で身体を温め葛根湯で抑えていた。
そのまま大晦日を迎え、元旦にはそれが妻に移り、妻がダウン。
どうも東京へ来てから、正月のダウンは続いている。
私は今日も熱っぽく、またもう寝正月だ。
余程、東京とは相性が悪いのかもしれない。
今日の撮影も無事に終わった。
残すところ後2日間。
何とか乗り切らないと、今週末は「明鏡塾」が待っている。
その週の木曜日には、マルセイユへ飛ぶ。
今回の撮影の中身は、私の基礎練習だ。
コントロールするポイントを数か所身体に設定し、出来る限り身体のコントロールを無くすのだ。コントロールは、主に気持ちや思いが優先し、身体の能力を押さえ込んでしまうからだ。
ここの説明が何とも難しい。
今回のフランスからの受講者の大部分は、私の本を読んでいるし、パリやマルセイユ、ブリュッセルでワークを受けている。
だから、稽古としては復習になる人も沢山いるから、スムーズに進む。
そういったキャリア組は、難なく肘や膝のコントロール、胸骨操作を熟す。
年に3.4度しかワークをしないのに、出来ている人を見ると、どうして日本の人で、長く教室に通っている人が出来ないのかサッパリ分からない。
多分、原因は言葉に有るのではないかと思う。
日本語だから、日本人には理解できる。
その「理解できる」というところが「出来る」と勘違いしているのだ。
もちろん、それは外国人にもいる。
「胸骨は少なくとも3年、毎日1.000回から10.000回や」と言う。
「では、生きている間に出来るのか?」
「無理や」
こんな会話が何時もある。
無理と言われたら止めるのは日本人だ。
だが外国の人は、楽しんでいる人が多いので、笑いながらも無理をする。
以前、空手の蹴り足を教えた事がある。
少し特殊なものだ。
しかし、指先を鍛えなければ、拳と同等、あるいはそれ以上の硬さは生まれない。
その足を教えた。
1年後には、「日野、見てくれ」と教えた指先を見せてくれた。
「素晴らしい、教えてやったのは君だけだ」とお互いに喜んだものだ。
何が違うのか?