千差万別に対応するには

「明鏡塾」の会場は、内科医のご厚意で診療所の上を借りている。
この内科医は、相当おもしろい。
つまり、杓子定規の医師ではないということだ。
本当に患者さんの事を考えているので、地域の人達から絶大の信頼を受けている。
「なんでもあり」の診療、そのオープンな人柄だからだ。
その内科医・原田先生が先日本を出された。
題して「病は口ぐせで治る!フォレスト出版」だ。
非常に読みやすく、そして分かり易い。

是非、皆さんご購入下さい。
「成る程」ですよ。
そして、すぐに実行できることが網羅されています。

今日から「明鏡塾」6期が半年間続く。
今期は新しい人が少ない。
再受講、再々受講の人達が多くいる。
これは起ち上げ当初から想像していたことだ。
「そうなるだろう」と。

というのは、「本当に出来る様になる」という事に響く人が少なからずおり、その人達は熱心になる筈だ、と踏んだのだ。
つまり、こころから患者さんの役に立とうと、医療の世界に入った人。
そして、現状の自分に満足していない人。
こういう、こころある人は年齢を問わず必ずいる筈だ。
という希望を持っていたから「そうなるだろう」になったのだ。

現代の風潮は「方法の取得」だ。
方法はどこまで行っても方法の域から出ない。
つまり、方法というのは、何に対する方法なのか、という「対するもの」が限定されている。

例えば、チエンソーは木を切るものであって、鉄板を切るものではない。
当たり前だ。
だからその意味では方法を知るのが間違っているのではない。
範囲が限定されるというだけだ。
医療ということで言えば、病状にしろ故障にしろ千差万別だ。
ここが核になる。
同じ「腰痛」でも千差万別なのだ。
だから限定された方法では対処出来ないということだ。
千差万別に対応できるというのが、医療従事者の役目だ。

その意味で、それを認識している、つまり、こころある医療従事者というのだ。
千差万別に対応出来るというのは、「人間関係」の中で有ることだからだ。
関係が築けるというのは、こちらのこころが開いているということに他ならない。
つまり、方法ではこころは開かないということだ。

そして、根本的に「人の人生とは」に哲学を持っている必要があるのだ。
何故なら、人生の終末とも関わるからである。
哲学は、こころを強くする入口でもあるのだ。

午前10時、皆の顔を見るのが楽しみだ。


 

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