反応を見ないのであれば
人それぞれの行為は、人それぞれのものだ。
何の話や?だが、何時も書いている、見る、聞く、話す、触れる等、色々な行為があり、それは自分の外部に対するものだ。
中でも「話す」という行為は、誰でも普通にある。
あるいは、「触る」という行為の方が先に有るのかもしれないが。
それはそれとして、不思議なのは自分以外の人と会話をする時、自分の言葉に対する相手の反応を注意している人が余りいないことだ。
武道やワーク・ショップでは、2人3人と組んで稽古をすることが多い。
そんな時の会話を見ていると、大方がそうなのだ。
もちろん、触れるということでも、相手の腕を掴んだりするが、そんな時相手の表情を見るとか、身体の反応を見る事をしない。
となると、それは「自分が」だけであり、決して会話や関係ということにはならない。
ただ、日常という習慣化された暗黙のルールや、その習慣の中にある関係ということで、成立しているだけだということだ。
もちろん、日常はそれで十分だ。
明日は、東京「明鏡塾」の体験講座だ。
医療従事者の方達が、その日常を医療の現場に持ち込んではいけない。
何故なら、そこは患者さんにとっては非日常だからだ。
患者さんは真剣に、あるいは、本気で治して欲しいと思っているのだ。
医療従事者の人たちが、真剣に患者さんの声に耳を傾け、あるいは、本気で触れる事が、患者さんの希望に沿う事に他ならないのだ。
真剣に、本気でというのは、こちらが何の先入観も、固定観念も持たずに、向かい合うということだ。
だからこそ、患者さんからの、相手からの反応をヒントに治療を進める事が出来るのだ。
そんな事を体感し、あるいは体験して欲しいと思い、体験講座を開いているのだ。
「明鏡塾」体験講座、東京11月26日、大阪12月10日。
https://www.meikyojuku.com/