痛いも信じられない

朝、目が覚めてから寝返りをうつ。
「よっしゃ、大丈夫」
昨日の「ぎっくり腰」の痛みは、嘘のように軽減されていた。
しかし、注意を払って真っ直ぐ立つ。
決して腰を折らない。
しかし、不思議な事に片足で立ち、片足を曲げ靴下を履くが痛みが走らない。
この姿勢なら腰が曲がっていても痛くない。

「痛み」は、嘘でも錯覚でも無いのだが、多分に心理的な先入観が入る。
その証拠に、何かに熱中していると、つまり、意識に余裕が無い時は「痛み」を忘れている。
だから、「痛い」と感じても、信じることは出来ないのだ。

自分の中で、何がまともなのかを探し出すのは至難の業なのだ。
逆に言えば、全てがまともなのだが、色々影響しあっているので、条件が少し変わると全部変わるということだ。

それが他人との関係ということになると、「相性の良し悪し」という決め方をすることが多い。
私は、相性というものは無いとしている。
もちろん、苦手とか、そういった類のものは色々はある。
それらを含めて、全部自分が作り出しているものだと考えている。
その方が、自分を考えやすいし、改良しやすいからだ。

昨日の「ぎっくり腰」は、始まってから治まる迄の時間は、多分過去最短だったのではないかと思う。
よく考えれば、この過去最短は時間を逆行している現象だ。
つまり、10年前よりも私の身体は老化している筈だ。
老化は、身体全体に影響を与えている。
治りやすいか、治りにくいかでいうと、老化は治りにくくしている筈だ。
しかし、実際はその反対になっている。
これは、「意識をどう使っているか」つまり、「痛い」に対して何をどう考えて過ごしているか、の違いが引き起こしたことだと考える。

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