直ぐに教えたがる

外国である種の人達は、1週間程何かを習ったら直ぐに先生になっている、という人達がいる。
私にとっては?なのだが、外国の人達はそうは思わないらしい。
思わないらしいというのは、そこに習いに行く人がいるからだ。
しかし、逆にある人は「日野の教えていることは、簡単に見えるけど20年はかかるだろう」と取り組んでくれている人もいる。
そんな人も混じってのワーク・ショップだから難しい。

と書いていて、日本も同じかと思い直した。
「出来る」と思いたいのと、「先生でありたい」の2つが相まった自意識なのだろう。
それって?そう子供だ。
もちろん、逆に子供でも何かを分かっている子供もいるからだ。

バレンシアでのワーク・ショップの時、職業がピエロの人がいる。
イタリアでピエロの学校に行き、プロで活躍している人だ。
彼は常に愉快だ。
しかし、その愉快が度を越して、紳士的な人を怒らせてしまうこともある。
その姿を見た時、一流のピエロではないことが分かった。
それは、相手の反応に応じて愉快なのではなく、自分勝手に愉快をやっているだけだからだ。
彼は「分かった」を連呼する。
何を分かったというのだろう。
何かが分かったら出来るとでも思っているのだろう。
似たような現象が起こると、「出来た」になってしまうのだろう。
これまた子供だ。
そう、子供だという比喩は「子供」のことではない。
幼稚だということだ。

これも難問題なのだ。
何が幼稚なのかだ。
どの体験が足りないから、そこが成長していないのか。
確かに、年齢相応では無いということだ。

熊本では子供達が来る。
いわば、年齢的にはある程度揃っているし、習っていることも共通している。
しかし、個体差が有りすぎるだろうからだ。
そういう意味で言うと、私の10年来の生徒である、ダンスの先生は素晴らしい。
そこは競技があるから、当然日本一を目指す。
全国制覇6連覇中なのだ。
口うるさく言うのは挨拶だそうだ。
全ては関係性が入口だということだ。

福岡ワーク・ショップ 9月16.17.18日
https://hbudotowak630.wixsite.com/realbodycontrol/blank

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