今日はホロトロピックで
今日の夜は講演を頼まれている。
レジュメは何時も作るが、話し始めるとそれらはどこかへ行く。
今回もきっとそうなるだろうが、何とか筋道だけは通るようにしようと思っている。
ただ、一つのエピソードの中に要素が詰まり過ぎているから、それこそどこから切り取るかが問題なのだ。
例えば、今回は「身体の在り方」というテーマがある。
そうなると「身体とは何か?」が入口だろう。
では、その身体を医学的な方向から切り取るのか、一般的な観念としてある身体から切り取るのかで変わる。
その意味では、私は非常に欲の皮が突っ張っており、あらゆる角度から全部詰め込んでやろうと思ってしまうのだ。
それは、ある物事は決して平面的なものではなく、常に立体的だからそれを説明しようとすれば、相当ややこしくなる。
そんな事も出たとこ勝負で勉強だと考えている。
ワーク・ショップや教室でも、色々と説明しながらワークを進めるが、その場合は「行為」があっての話だ。
しかし、講演ということになると一方通行だ。
これは難しい。
例えば10人に話をするにしても、それこそ十人十色というくらい、人は違う。
その誰もにも話を通じさせるとすれば、専門的ではなく出来る限り日常的な平易なものになる。
そこが難しいのだ。
もちろん、これは私自身が「そうだろう」という思い込んでいることだ。
思い込みが停滞に働く事もあれば、成長に働く事もある。
私の場合は、成長に働かせている、というよりも、成長に働いている。
つまり、今回の「思い込み」が、「では、どう対処するのか」という自分自身に対するプレッシャーを作り、どんどん考えるようにするからだ。
と、こういう脱線が、私にとっては非常に有意義なのだ。