頭の混乱がブレーキになる

どんなことでも「その人にとっては」ということになる。
だから、非常に個人的なものだ。
それはもちろんすべての個人の持つ世界や価値観が異なるからだ。
だから、それらを並列に並べる事が出来ない。
つまり、比べる事が出来ないということになる。
しかし、だからといって絶対に比べられないのか、というとそうでもない。
例えば、私はどんなことでも比べるようにしている。
何を比べるのかというと、そのものに対する取り組みの切羽詰まり具合だ。
そして、それは取り組んでいる具体的姿勢として見えてくるものだ。
自分が「こうしたい・こうなりたい」と思った時、それに取り組む姿勢だ。
これは単純に誰かと比較することができる。
例えば、今回の世界水泳でメダルを取りにいった多くの日本選手。
それは、その世界にいない私達にとっては、分からないトレーニングを積んでいる筈だ。
選手たちは全身全霊「そのこと」に取り組んでいる。
それは「こうなりたい」からだ。
そのように物事を抽象化できれば、比較することは可能だ。
「私は日本選手のようには取り組んでいないな」と分かる筈だ。
しかし、ここで彼等とは生きている世界が違うから、と問題を後戻りさせる人が沢山いる。
それは頭が混乱してしまっているからだ。
折角物事を抽象化しても、現実的な視点に戻してしまうのだ。
ここでは取り組む姿勢を問題にしているのに、住む世界の違いという現実を引っ張り出す。
そういった混乱が、自分にブレーキをかけていることになるのだ。

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