自分で修羅場を作り出せるか

さすがに今回の「武禅」の申し込みは気合が入っている。
目的を書いて欲しいという要望を出しているので、申込者は書いてくれている。
そこに見えるのは「決断」だ。
もちろん、レベル差がある。
曖昧さもある。

それらの差はどこからくるのか。
「希望」と「現実」の違いではないかと思う。
「希望」といっても、当人が現実の中で持つものだ。
だから、「希望」に対して決断をするということもある。

方や「現実」に対しての決断。
こちらの方は、現実の自分を知り見つめているので、自分と直結している。
だから力がある。

簡潔に言えば、現実の自分としての仕事や、役割から拾い出した自分自身に対して、「自分をどうしてやろうか」という決断だ。
この辺りの事は、一言では語れないが、恐ろしいほどの差がある。

差が有るから間違い、あるいは悪いのではない。
そういったレベル差を感じ取れるか否かだ。
感じ取ることで、自分の甘さに気付けば、次のステップを作ることが出来るのだ。
一番最悪な形は、客観的になってしまうことだ。
つまり、「あの人と、私は違う」としてしまうことだ。

もちろん、全ての人は異なる。
しかし、「同じ土俵に上がる」という視点を持つことは出来る。
実はそれが自分自身を見つめる目になるのだ。
同じ土俵に上がるからこそ、個性の違いが見えてくるのだ。
これが理想だ。
そして、それが社会での役割の違いになるのだ。

今回の「武禅」は、現時点で申込者は半数を超えている。
受講を希望する人は、「武禅」を自分自身の修羅場にする覚悟をして欲しい。

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