成長というのは
「成長」とは何を指しているのか。
しかし、ここには定義はない。
個々によって「何が」が違うからだ。
敢えて言うならば、何かを通して自分の考え方や感性が深くなること、と言えるのではないだろうか。
ここで重要なのは「何かを通して」だ。
例えば、仕事、例えば趣味。
それは何でも良い。
ただ、直接的に社会という不特定多数と関わっている事が良い。
もちろん、社会と関わらない、あるいは人と関わらないでの成長も有るのかもしれない。
しかし、私はそちらは全く興味が無いので分からない。
つまり、ここで不特定多数と、社会と言ったのは、そこでの関係性の中で成長する、という事が同時にあるからだ。
何かを通してが仕事だとした時、その仕事が自分の思い通り出来るようになったとする。
そうすると、その反面それは社会との関係がスムーズにいかせられるようになった、という裏があるのだ。
「成長の為に」何かをするのは、本末転倒だ。
何かをした結果が、「俺って少しは成長したかも」だからだ。
その意味で、「武禅」は成長の為のものではない。
自分自身には気付きにくいから、自分自身に気付いていく事が目的だ。
また、本当に人と関わるということを体感する為に有る。
社会や不特定多数と関わっていくというのは、自分自身を知っておかなければ、相当苦労があるからだ。
つまり、自分自身を通して、あるいは他人を通して「人」を知り、自分を知るのが「武禅」だということだ。
「成長」は、自分の持ち場で成せることだ。