相互関係

100回目の「武禅」は、どうやら早々に締め切らなくてはならないかもしれない勢いだ。

「武禅」で「グサッ」と自分の胸に突き刺さった人達の目的は、読んでいて気持ちが良い。
しかし、何時も書くように、そういった人達の感性は、私自身を当然刺激してくれる。
だからその事が、私自身の成長へと繋がるのだ。
つまり、受講者の成長や気付きは、そのまま私自身に還元し、それがまた受講者の人達へと還元されるという構図だ。

先日の沖縄ワークショップで、閃いたワークがある。
10人ほどのグループに分かれ、各グループで判定するというものだ。
一つのグループで、完璧な評価をされた人は、他のグループに他流試合に行く。
そうすると、完璧どころか、完膚なきまでも捻じ伏せられるという結果が出る。

では、完璧としたグループの判定は甘かったのか。
というと、それも無くはない。
しかし、それ以上にグループの中で関係が生まれてしまっているからだ。
居心地が良くなるのだ。
他流試合に行くと、そのグループからは違和感を感じられてしまう。
そうすると、自ずと判定は厳しくなる。

人や社会とはそういうものなのだ。
もちろん、その他流試合も制覇しなければならない。
そこで考えなければならないのは、自分はどうして他のグループに違和感を与えてしまったのかだ。
そこには、「構える」という意識が無意識的に働いていたからだ。

これはいわゆる「場数を踏む」という事が大事なのだが、一概にそうとは言えないのだ。
自分が果たすべき役目に集中していない、ということが原因なのだ。
人間はかくも繊細な動物だということだ。
微妙な変化に対して違和感を感じてしまうし、微妙な変化を起こしてしまうのが人間なのだ。
もちろん、このワークは「武禅」でも使う。
ただ「武禅」の方がシビアになるので、完璧な人はどのグループからも生まれないだろう。

Follow me!