人生ままならない
川が流れる三番街、といっても、大阪と大阪近郊の人しか知らないだろう。
私が何歳の時に出来たのか忘れてしまったが、しばらくぶりで歩いてみた。
三番街から通称ウメ地下、富国生命ビルの地下街。
完全に面影はなかった。
都会という幻想、それを新陳代謝が支えているのだろうと感じた。
安いチケットを買おうと思えば、相当早い時期にチケットを買わなければならない。
そうすると、予定が変わってしまうことも多々ある。
今日の大阪は、その典型だ。
この時期、熊野にいるつもりだったから、大阪から沖縄に飛ぶことにしていたのだ。
人生は常にそれだ。
どこかで辻褄を合わせながら生きているだけだ。
だから、自分の意志を貫いている人を見ると、どこか憧れてしまうのだ。
逆に、それほど強い意志を持たないのに、自分の思い通りの人生を歩けると思っている人は不幸だ。
自分が幻想の予定を作ったばかりに、それに振り回され強いストレスを負う事になるからだ。
そこで「ま、しやないか」と思えるのなら、そのストレスはチャラになる。
だから、どんな考え方、あるいは、どんな言葉を持っているのかが、生きる上で大事な事になるのだ。
間違いなく新陳代謝の真っただ中にいると、判っている経営者で、万全の体制をとっていたとしても、壊れる時は壊れる。
その逆に、ええ加減な商売をしていても、壊れない店は壊れない。
それはこの世の中の全てに当てはまる。
万全の体制を作るのが好き、考えるのが好きな人は、それをやり続けるのが好きであれば、それで会社が壊れても余りダメージを受けない。
しかし、何かを守る為の万全の体制作りであれば、壊れればダメージは大きい。
何が違うのだろう。
「守る」という考えが、足かせになり、それこそ時間を止めていることになるからだ。
20代後半にカレー専門店をやっていた。
手形の事に無知で開店6か月で、他人の手に渡った。
その時、残っていたお金で、次の事を考えようとした。
しかし、仲間の一人が、その残りのお金を守ると言い出し、結局は、それはどこかへ消えた。人生そんなものだ。
笑い話なのだ。