一瞬で、迷走した。明日だ。
「人は一瞬でしか変われない」というのは、知識の積み重ねや論理を使った先に変化が訪れるのではない、ということだ。
逆に、それが有ると変われない。
もちろん、ここでいう変わるというのは、自分の予想だにしない変化のことだ。
だから、積み重ねの先にあるのではない、というのだ。
昨日教室で「力という先入観」ということで、皆に少し試して貰った。
それは例えば「叩かれたら痛い」と思い込んでいることも同じだ。
「本当か?」という疑問を持つことで、そこを検証することは可能だ。
大方の人は、ここを持たない。
自分の事なのに自分で検証せずに、その言葉を鵜呑みにしているだけだ。
だから、そういった言葉を沢山持っているとしたら、その頭は「自分」という「自分」なのか、となる。
その意味では、私は天邪鬼だった事を喜んでいる。
信じるも信じないも無く、「ほんまかいな?」と直ぐにその回路が働いてしまうようになっているのだ。
例えば、道場を建設する時の話で、材料を注文している材木屋さんから、私は信用を得た。
単なる個人なのだが、そこの会社の取引コードをもらえるようになった。
それは、それこそ一瞬でなったのではない。
現金取引で、しかも高額な取引を数年続けたからだ。
つまり、私自身がその会社に対しての約束を守り続けたという事だ。
信用というのは、そういう事だ。
時間と労力を必要とするのだ。
もちろん、既に頭にある言葉と、こういった仕事の実際と比べることは、理屈的には出来ないだろうが、私には同じだ。
だから、引っかかった言葉は、必ず検証をし自分のものにしていくのだ。
冒頭の積み重ねでは変わらないというのは、こういった信用は、それこそ積み重ねだ。
しかし、こういった事を考える様になった私は、こんなことを学んだからではない。
それこそ、自己啓発本やセミナーに通ったからではない。
そんなこととは、殆ど無縁である。
それこそ、「自己啓発?」それって何だ?と、考える材料くらいのものだ。
そこを考えなければ、それこそ本を読んでもセミナーに通っても、それが本当に自己を啓発するのかどうかが分かる筈もないだろう。
あれっ?「一瞬で変わる」はどこへ行った?
明日にしよう。