自分が無い時こそ力を出す
7月15日、そういえば博多山笠の追山笠だったかな?
24.5年前は、仕事がこの時期に重なっていたので、早朝観にいったものだ。
重い山笠を担ぎ上げ、ふんどし一つで走り回る姿は「気持ちが良い」以外に形容する言葉がない。
あのエネルギーを持ち、人生を歩く事ができれば、ほんとに怖いものなしだ。
世に蔓延る、受け入れるだの、承認されたいだの、癒されただのという弱っちい、まるでお人形さんごっこのような人間にはならないだろうに。
それぞれ各地に残る祭りは、エネルギーを出し切るものが多い。
日頃の鬱積を晴らす為、という要素もあったのだろう。
しかし、そのエネルギーというのは何なのだろう。
人のこころにあるのか、気持ちにあるのか。
決して意識の中には無いだろう。
それらは、逆にエネルギーの結果なのかも知れない。
私自身が「よっしゃ〜」と気持ちやこころが鼓舞される時は、何かに挑戦する時だ。
その時には、相当のエネルギーが湧く。
そして、その挑戦が自分の為ではない時には、弱音を吐く自分は出てこないから不思議である。
そこを考えると、人は誰かの役に立つ時こそ、力を発揮するのだろう。