社会で生きるのはチームプレー
「明鏡塾」体験セミナーは7月16日です。
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昨日の「明鏡塾」では、チームワークに付いて話した。
チームがあって、そこで発生する役目を担う。
それが大方の人が持つチームワークという実際のイメージだろう。
私は、そうは考えない。
人が複数寄れば、そこに一時的にチームが生まれ、そこで自分の役割を把握出来、行動できる、それがチームワーク能力とでも呼ぶものだと考えるのだ。
その為に、個々が自立していなければならない。
ここでいう、自立しているというのは、自分は「どんな場にいるのか」「場は何を要求しているのか」「そこで何をすればよいのか」「自分は何が出来るのか」を判断でき行動として現すことが出来ることだ。
そういえば、妻の誕生日に美味しいイタリアンの店に行った。
以前一度行った時、中々美味しかったからだ。
予約無しで飛び込んでいるので、◯時までと区切られたが、そうお酒も飲まないの十分な時間だ。
パスタ類やピザ、そして生ハムやチーズ等も頼んだ。
しばらくは良い感じで食事が進んだ。
そう広くない店内だから、スタッフたちの動きが目に入る。
黒服のマネージャーも動き回っている。
ふと気になって一人に注目した。
その黒服のマネージャーだ。
この黒服の動きが悪い。
どうも存在に違和感が漂う。
一度、そういう具合に目についてしまうと、気になって余計に注目する。
この黒服は客席を回っているのだが、「その場にいない」のだ。
作業をしているだけなのだ。
作業をしているだけというのは、自分が作業をする時だけそのことに注意が行き、作業と作業の隙間は、何かしら余計な事が頭を支配しているという感じだ。
あるいは、作業に注意は行くが、同時に他のテーブルや、客席に注意が向いていないのだ。
だからどう見えるのかというと、邪魔なのだ。
その空間に不釣合いな物体にしか見えないから、邪魔で仕方がないのだ。
たちまち、食事が不味くなった。
食事が美味しいというのは、そういったことも含めての総合的なものだ。
アルバイトであろう若いスタッフの方が、遥かに店に仕事に馴染んでおり、全く不自然さはないから気持ちが良い。
こういった黒服のマネージャを、チームプレーが出来ない邪魔な奴というのだ。
店では、色々指示を出したり、アルバイトのスタッフに注意をしているだろうが、本質的にそのマネージャーは作業と仕事、あるいは自覚が全く無い、つまり、何も分かっていないということで、その仕事は失格だ。
つまり、そういったチームプレーが出来る人と出来ない人がいるということだ。
もちろん、チームプレーが出来ないのが悪いのではないが、その場において「自分の存在は邪魔だ」と分かる能力は必要なのだ。
もしそれが分かれば、別の何かを探せば良いだけだ。
もう少し違った角度で言うと、例えば電車に乗っていて、降りる駅に着いたとする。
降りようとドアの方に歩くが、そこにはモバイルに集中している人が立っているとする。
モバイルに集中している人は、その降りる人の気配を全く感じ取れない状態だ。
それが邪魔な存在であり、物体のような人、場を分かっていない人、その場におけるチームワークの出来ない人ということだ。
もちろん、そういった人はどこにでもいるのを思い出せるだろう。
私の教室にもいるし、ワーク・ショップにもいる。
もちろん「明鏡塾」にもいる。