的確な失敗が出来たら

東京ワーク・ショップは6月2.3.4.5日です
http://hinobudo.wixsite.com/workshop/workshop-1
昼間の続きになるが、「○○をしているのでしょう」と私に言うのなら良い。
それを他の受講生に言い、挙句の果てに持論を教える人がいる。
それは、ある集団になると、必ず一人や二人はいる。
よく、子供の空手教室やレスリングの教室で、横から親が口出しをするケースがある。
口出しをするのなら、その教室に連れて来なければ良いのだ。
しかし、先生はそういう注意はしない。
だから、教室の秩序は無茶苦茶になる。
昔、私の教室でもあった。
訳があって、男子中学生を教える事になった。
但し、大人と同じ扱いをするから、それが嫌なら連れて帰って欲しい、と前置きした。
最初親が中学生を連れて来た。
稽古が始まると、ああだこうだと、横から中学生に注意をした。
最初は放っておいたのだが、しまいに親が中学生の横に行き、教え出したのだ。
これでキレた。
「おっさん、お前が教えるのならここに連れて来るな!さっさと帰れ!」と一喝した。
今は、雰囲気が壊れるから大声では怒鳴らないが。
こういった人達は、一体どういう頭の構造をしているのだろう。
何時も不思議に思う。
そして、こういった人達に年齢差は無い。
若い人でもいるのだ。
場が分かっていないとか、自己顕示欲が強すぎるとか、自意識が幼いなどといくらでも解釈できるが、そういったことではなく、自分自身を全く分かっていないのだろう。
そういえば、一度ワークショップで、見るからにスポーツトレーナー系の人に、教えている若い男性がいた。
その男性はどうみてもスポーツ系ではなかった。
トレーナー系の人は、やはりトレーナーだった。
もちろん、その若い男性よりも10歳は年長の感じだ。
私は近寄っていき、「お前、この人トレーナーで、運動に関してはお前よりは上やと分からんか」と言った事がある。
身の程知らずもほどほどにしろ、だ。
自分のワークショップでもないし、私の感覚や考え方を理解していないのに、どうして教えられるのかほんとに教えて欲しいくらいだ。
ここが昼間の続きだ。
教えたがりは、自分の物差しを絶対だと信じて疑っていない人なのだ。
つまり、そこを自分の頂点だと決めている人なのだ。
でないと、他人の家に土足で上がるような真似はしないだろう。
私自身も、それこそ取材などで他の道場に行く。
体験という名目で、他の事を教えて貰う事がある。
しかし、決して持論を出す事はない。
どうやって核心を掴むための失敗をするか、そんなことは考える。
失敗の仕方一つで、相手からの言葉の出方が変わるからだ。
その意味で、わざと間違うのだ。
私が皆に言うのはこれだ。
「どれだけ本質的な失敗が出来るか」だ。
皆は出来たい出来たいという考え方に支配されている。
もちろん、私もそうだ。
しかし、私として出来たいのではなく、お手本を出来たいのだ。
だから、教えている人からの言葉が重要になるのだ。
ステレオタイプの言葉では無く、自分に直接役立つ言葉が欲しいのだ。
だから、的確な失敗が必要なのだ。
教える人には必要ないが。

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