どこへ行きたいのかで入り口が変わる
「明鏡塾」5期生5月開講、募集を開始しました
http://meikyojyuku.com/
1月からフランスや、沖縄・福岡とワーク・ショップが続き、東京教室は師範代に任せっぱなしだった。
昨日は久しぶりに教室に行けた。
「身体塾」「武道塾」と1日中の稽古は久しぶりだ。例えば、胸骨操作に取り組む。
そこには、初参加の人から師範代までキャリアが相当異なる人がいる。
出来不出来は当然違う。
しかし、その違いは出来不出来の違いなのか?というとそうではない。
それは2年たち3年たち、5年10年と時間が経った時に現れる。
何が?
違いが明確に現れるから面白い。
取り組み方がその違いを出すと単純に思うが、実はその取り組み方というのは、何を目的としているかが違いを出してくるのだ。
何時も例に出す「きれいな字を書きたい」と言うことで書道に取り組んだとする。
そこで「きれいな字」を目指すのだが、ある人は字が汚いからきれいな字を、が目的だとする。
ある人は書道の展覧会に出せるほどの字を目的だとする。
また、ある人は字を追求してやろうが目的だとする。
そうすると、一本の線を引く事自体に、取り組み方の差が出て当たり前だ。
しかし、スタート当初は、その差は実際として書かれた紙には見えて来ない。
だから、それぞれが紙を見比べても判別出来ないのが普通だ。
しかし、もちろんその書道の先生からは見えている筈だ。
同じことをやっていても、そういった構造的な仕組みがそこにはある。
日常でそんな事を目にするのが面白い。
というよりも、そういった視点を持っている事が、自分自身を改めて客観的に見ることが出来るのだ。
で、自分は何を目的として持っているのだろう、という事も改めて考える契機にもなるのだ。
その意味で、人が沢山集まる、例えば、ワーク・ショップや教室は、先生の宝庫なのだ。
同じことに取り組む他人を見る事で、では自分は?と考える事が出来るからだ。
大阪ワーク・ショップは5月5.6.7.8日、東京ワーク・ショップは6月2.3.4.5日です
http://hinobudo.wixsite.com/workshop/