カーブを切るのはハンドルではない

大阪で道場を開いた当時、当たり前だが道場生などいない。
そこで、友人・知人達に募集を呼び掛けて貰った。
そこに、やんちゃな若者が名乗り出てくれた。
彼はすこぶる車の運転が上手だった。
いわゆる暴走族だったのだ。
彼も一緒に熊野の道場建設に参加した。
熊野は果てしなく山だ。
しかもその山道は国道なのだが、車がすれ違うところの数が少ない。
若い彼は、カーブだらけの道を、かなりのスピードで飛ばす。
その運転を観察していると、決して無謀ではないことが分かった。
私は、残念ながら山道を「どう運転したらよいのか」を知らなかった。
だから、夜な夜な彼に運転を教えて貰った。
カーブへ突っ込み方、ブレーキの踏み方他、かなり無茶苦茶な指導法でものにした。
その運転をまずは手本通りこなしていく。
カーブへ来たら減速する。
アウトインを明確にする。
そんなことを徹底的にやっているうちに、自分は何をしているのか?と考えるようになった。
もちろん「車を運転している」のだ。
しかし、守らなければならない細かなテクニックは、何の為にあるのかだ。
そうか、これは山道を走る時の、安全運転の為のテクニックだと気付いた。
アウトインとはいうけれど、それは速度に応じてその角度は変わる。
もちろん、カーブによっても変わる。
それを一早く見極める。
そういった事を試していると、面白い事が判った。
実際に走っている、熊野の山道を走る事が出来るようになったのか、どんな山道でも同じように走れるようになったのかという違いが出るという事だ。
つまり、自分のやっていることをどれだけ抽象化出来るか、そのことが応用性の広さと比例するということだ。
カーブに来たらハンドルを切る。
具体的にはそういうことだが、やっていることはどこをめがけてカーブに入り、どう抜けるか。
その作業が「ハンドルを切る」という具体から遠ざけるのだ。
同じように、暴走族をしていた別の若者は、運転が下手だった。
カーブでは何時も車が振られる。
遠心力が働くのだ。
「お前、ハンドル切っているやろ」
「はあ?当たり前でしょう」
「アホかハンドルを切ったらあかんわ」
私が変わって運転すると、車は振られないのだ。
どこに意識が有るのかが、実際を左右するということだ。
この自動車運転の一件は、何かを成す時の意識をどこにおかなければいけないのか、という考え方が必要だという事を示唆してくれたのだ。
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