言葉と自分とのギャップ

その人そのものから見えてくる世界。
あるいは、言葉から見えてくる世界。
言葉からというのは、例えば文学、例えば論文や論理の世界だ。
その何れも、そこには真剣勝負の如く言葉が光っている。
そんなことを、30数年前に教わった。
教わったというのは、義弟との会話の中で知っていったのだ。
「言葉一つ違えば世界が変わる」ということを俳句を題材に知ったことだ。
成る程、世界が変わる。
ここで書いている言葉というのは、日頃「言葉に惑わされるな」という言葉ではない。
その場合の言葉は、全く実体化されていない言葉のことだ。
例えば、私は「ねじれ」という言葉を使う。
この言葉を使えるようになるまで、何年間か掛かっている。
私の身体そのものの状態が、完全にその事を認知するまでの時間のことだ。
そういう時間を費やして、言葉と自分とを繋がるようにしてきた。
だから、上っ面の言葉は直感的に見抜けるようになったのだ。
それが「言葉に惑わされない」ということだ。
つまり、自分の力で考えるということをやらなければ、そういった事も出来るようにはならないのだ。
「言葉に惑わされては駄目」と知ったところで、それはどういうことなのかが分からないし、どうすれば良いのか分からない筈だ。
その意味で、良い言葉を沢山知っている人は大変だと思う。
それを自分のものにするには「どういうことか」「どうすれば」に追いかけられ続けなければならないからだ。
もちろん、大方の人はそれには気づかないが。

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