沖縄2 答えだけを求めるな

ダウンを羽織って十分の朝。
朝モスには、何時ものおじちゃん達。
9時の迎えだから、早々に珈琲を切り上げホテルの前で待つ。
蓋を開けると、横浜や大阪からも受講してくれていた。
定番の胸骨から入ろうと思ったが、同じ胸骨操作でも、日頃余りやらないものに挑戦した。
それは受講者からのリクエストがあったからだ。
「ええい、ついでに全員で」とは言ったが、初めての腕操作と胸骨のコラボに、全員悲鳴。
100回でストップ。
おかげで、身体は温まった。
そこから肘へと進む。
「表現塾」は、向かい合いと声を届けるだ。
全員が集中しているので、かなり中身は濃かった。
で「関係塾」で、全身のねじれへ。
さすがにこれには手こずるしかない。
「答えを知っているからといって、先に答えを求めたらあかんで」
という、稽古法を指導。
答えを知っておりその形を行うから、入口からのプロセスを体感することが出来ない。
だから、完成することは無い。
つまり、答えには届かない失敗のケースを作り上げる、という話だ。
どうして、プロセスを楽しめないのか。
そのプロセスこそが自分だけのオリジナルだ。
とにかく、自分自身が試行錯誤しているからだ。
結局、他人の答えを好きで、自分が取り組むこと、つまり、自分は嫌い、ということだ。
そんな話を繰り返した。
自分が人生を生きているのに、自分を嫌いとはどういうことか?意味が分からない。
もちろん「こんな自分は嫌い」という言葉を、巷でよく囁かれているのは知っている。
もし本気でそう思っているのなら、即刻変えればいいだけで、その言葉を他人に吐く必要などどこにもない。
どれだけ自虐的な人が多いのだろう。
もし、本気ではなく、社交辞令のごとく口にしているのなら、直ぐに止めるべきだ。
間違いなく、嫌いな自分になるからだ。

Follow me!