こころと技術は一心同体
「明鏡塾」を1期から手伝って貰っている、若い理学療法士がいる。
まだ27歳だ。
先日、その「明鏡塾」の書類を整理していたら、1期当時の写真を見つけた。
当時といっても、たかだか2年前だ。
現在の彼の顔は恐ろしくクリアになっている。
人は2年でここまで成長するのかと改めて驚いた。
誰でも生きている時間は同じだ。
しかし、個人によって、体験していることは全く違う。
彼は、自分が歩くべき道、超えるべき壁が明確だから成長しているのだ。
何を感じ、何を問題視し、何に取り組み、何を乗り越えてきたかだ。
何になったのか、ということではない。
自分が歩くべき道とは言っても、そこには色々な障害がある。
予期せぬことも起こる。
仕事としてうまくいかない事もある。
乗り越えられない壁もある。
それらを歩いてくるから、色々なこころの葛藤があり、感情の起伏もある。
その事が、彼という「人」を成長させているのであって、目に見えている仕事や、それに付随することが成長させているのではないのだ。
単純に言えば「方法」を求める人には、ここでいう「こころの葛藤」は起こらない。
それは、方法を自分のものに出来るか否かだけが、自分の問題だからだ。
武道は人を成長させるというが、それは有り得ない。
武道にどう取り組むかによって、人は成長する可能性があるというだけのものだ。
人は、こころの葛藤を通さなければ成長しないのだ。
武道の要素の一つである「力の衝突はしない」がある。
その為に、こうするという方法はある。
しかし、自分自身が「このやろう」というこころを持つのでは、残念ながらその「力の衝突」を避ける事は出来ない。
その「このやろう」という気こころが無くなった時、力の衝突が起こらない技が出来るようになっている。
つまり、こころと技術は一心同体なのだ。
彼は、理学療法士という仕事を通して、この状態になっているのだ。
「明鏡塾」で求めるものはそこである。