何に触れるのか
今「明鏡塾」の資料を整理していた。
「触れる」と実際に行い、そこにある違和感を感じ取る稽古をしている。
逆に、ではどんな感じになったら良いのか、という事では受講する理学療法士や鍼灸師、外科医、整体師等々が、それぞれに触れてその感想を共有する。
私が一人の受講者に触れて、その感想を引き出した。
すると「全然違う、肉体に触れられているのではなく、その内側に触れられている感じで、心地よさが肉体的なものではない」と感想を語っていた。
という具合に、「分かる」のだ。
ただ、私は人は他人に触れていないという。
もちろん、肉体的に具体的には触れている。
しかし、触れていないのだ。
そこに「饗感」しているのが見えないからだ。
それは、俗に言えば「こころが開いていない」からである。
ここを突破するのは、方法なのか自分の問題なのかの違いがあるのだ。
ここの線路を間違うと、つまり、方法だと認識していると、絶対にここにはたどり着かないのだ。
理論や方法ではなく、その人が、なのだ。