目の前の人に

会話ということを「武禅」では、徹底的に向かい合う。
目の前に座る人は、本当に私に話しているの?を感じ取るのだ。
目の前の人は、当然目の前の人に話しかけているから、話しかけていると思っている。
いや、思い込んでいる。
というのは、「あなたは、ほんとに私に話しているの?」と日常で確かめられた事がないからだ。
単純に「声が小さくて聞こえない」とか、滑舌が悪く「何を話しているのか聞き取れない」ということはあるだろう。
しかし、根本的に「独り言はやめて、私に話してよ」は言わないだろうし、言われたこともないだろう。
どうして、言わないのか?
それは、それほど「人に対して関わっていないから」にほかならない。
関わりが薄いから、全く気付かないのだ。
学校や職場で起こっているいじめの中に「無視」というのがある。
大方の日常は、無視とまではいかないが、半無視のようなものなのだ。
一寸、動物の事を想像して欲しい。
子犬が、小さな声でクンクンと寄ってきたとする。
声は小さい、しかし、何かを求めていることは明らかに分かるだろう。
それはどうして?
全身で表現しているからだし、子犬にとっての主人、あなたに対して、その表現を提示しているからだ。
会話はどうだろう?
全身からその言葉や声を、相手に対してだしているだろうか。
正しく目の前の人に、伝えたいという思いが伝えているだろうか?
その昔、時々だが、講演会を聞きに行ったり、セミナーを受けたりした。
その時に、「こいつ、誰に話しているのだ」と、何時も思ったものだ。
どれだけ著名な人であっても、独り言の人は多いのだ。
子犬や赤ちゃん、幼児は、間違いなく主人やお母さんに向かっている。
それが何歳の頃からか、向かわなくなるのだ。
どうしてか?

Follow me!